アブシャロムの柱

本文

アブシャロムは存命中、王の谷に自分のために一本の柱を立てていた。 「私の名を覚えてくれる息子が私にはいないから。」と考えていたからである。 彼はその柱に自分の名をつけていた。 それは、アブシャロムの記念碑と呼ばれた。今日もそうである。        サムエル記第二 一八・一八

異国の父と子

ニューヨーク、ロウアー・マンハッタン。 ワールド・トレード・センター。

ツイン・ビルの南側タワー107階にある展望室には、いったん中二階に行ってチケット を買ってから再び一階に降り、そこからエレベーターを利用して上がることになります。

とある春の日、そのエレベーターに一組の父親と息子が乗り込みました。白いシャツの上 に黒ずくめの伝統的な衣装をまとい、顔にひげをたくわえ、黒い帽子をかぶった父親は、一 目で正統的なユダヤ教徒と知れます。同様に白と黒の衣装を着た十二、三歳の息子は、多少 神経質そうで、ルイ・マル監督のフランス映画に出てくる少年のような端正な顔立ちをして います。

連れ添って大型エレベーターに乗り込み、ニューヨークの眺望をひととき味わった父と子 は、三、四〇分後、今度は下りのエレベーターの中にいました。展望室で何があったのか、 あるいは何もなかったのか、両側に出口のある大型のエレベーターに入るや、息子は片端に 進んで無言で立ち、父親は途方に暮れたような不安な顔で反対側にたたずみ、やがて地上に 降りたエレベーターから、二人は距離を置いたまま、マンハッタンの雑踏の中に消えて行き ました。

この町の住民なのか、どこかの町から見物に来ているのか、自分の伝統と信仰を子どもに 受け継いでもらいたいと願いながら、共に旅する以外になすべき多くを知らない父親と、周 囲とは違う自分の出自に二律背反の思いを抱き始めた思春期前期の少年。 アメリカの映画や小説に父と子の葛藤と和解を描いた作品が多いのは、この国が、親と子 で祖国や文化、言語が違う移民の国であることを考えれば当然なのでしょう。

そうした父子の葛藤の一部始終を眺めていた東洋人もまた、同じように思春期を迎え始め た十二歳の息子との思い出作りのため、そしてできれば父の持っているものを受け継いで欲 しいと願って、遠い異国の地で親子の旅を続けている途中なのでした。

生きた証し

ダビデ王の息子の一人、アブシャロムは、家庭的には恵まれない人生を送りました。

最愛の妹タマルは、異母兄アムノンによって辱められて、家に閉じこもったまま寂しく人 生を送ることになります。その復讐に燃えたアブシャロムは、アムノンを打ち、勢いに乗じ て父ダビデ王にまで反旗を翻しましたが、時を得ず、敗色濃厚となります。

自らの企ての失敗と自分の死期の近いことを悟ったアブシャロムは、王家の谷に一本の柱 を立てました。子供に恵まれなかったアブシャロムにとって、自分の生きた証しをこの地に とどめるものは、この柱以外に考えられなかったからです。

彼の立てた柱は、思惑どおり王の谷に残されたのでしょうか。謀反者の建造物としてただ ちに撤去させられたのでしょうか。聖書の伝えるところによれば、父ダビデの温情によって か、柱はその地に残されたまま、悲しいアブシャロム兄妹の物語を無言のうちに後世に語り 伝えていたようです。

人はだれしも、自分の生きた証しをこの地にとどめたいと願います。子供をもうけるとい うことは、その端的な現われでしょう。そして子供が与えられれば、その子供が自分と同じ 価値観を受け継いで欲しいと願います。子供がいなければ、何か別の形で自分という存在が この地に生きていた証しを残したいと願うものなのでしょう。

プロ野球の王貞治監督は、ご自分の三人のお嬢さんの名前に「王偏」の付く漢字をあてた そうです。「球という字は、さすがに野球に縁がありすぎて使わなかった」と何かのインタ ビューで答えておられました。

やがて嫁いで名字の変わる女の子を持った父親に特有の思いからなのか、ご自分のご両親 の祖国へのなにがしかの思いからなのか、は分かりません。けれども、親であればだれしも 同じような気持ちを抱くこともまた確かなことでしょう。

八〇年十二月、活動再開直後にニューヨーク、ダコタ・ハウスの自宅前で凶弾に倒れたジ ョン・レノンは、ものごころが付き始めた息子から「パパはビートルズだったの」と聞かれ たことが、活動を再開するきっかけだったと言われています。彼もまた息子に残すべき何か を感じ始めたのでしょう。

受け継がせるべきもの

子供とともに思い出作りの旅をする親は、自分が子供の時に父とした旅を(それがどんな に小さな、近くの海辺への日帰りの旅であっても)覚えていることでしょう。

歳を重ねるごとに、自分が親から何を受け継いでいるか、若い時には思いもしなかったこ とに気付かされていくものです。

民族的な伝統、その家の家風、個人的な性格、知的側面、さまざまなものが受け継がれて いく中で、あるいは受け継がせたいと願う中で、やはり最大・最高のものは、造り主なる神 を知る知識、救い主なるイエス・キリストを信じる信仰でしょう。

すべての人に自分の命を受け継ぐ子供が与えられるわけではありません。すべての子供が 親と同じ人生を送るわけでもありません。

けれども、いや、だからこそ、あなたにとっての「アブシャロムの柱」は何でしょうか。 あなたの生きた痕跡を、あなたはどのようにしてこの地にとどめようとしておられますか。

「生きた、愛した、死んだ」とその墓石に刻まれた人がいたと言われます。もう一言、「 信じた」「キリストを信じた」「キリストのために生きた」と刻みこまれるような人生を送 られてはいかがでしょうか。

『百万人の福音』いのちのことば社,1997年1月