西船橋教会の「プロイオン」8月号に、「西村徳次郎の『昭和キリスト教受難回想記』の刊行について」という吉岡有一長老の文章が載った。私はこれを読んですぐこの『回想記』を読みたいと思った。この西村徳次郎という名は、もちろん私には初めて聞く名前であったが、吉岡長老によると、「昭和十四年(1939年)に成立した宗教団体法のために、同年から五年間、文部省宗教局キリスト教担任官(カトリック担当)の職にあった方です。…彼は、キリスト教会を取り締まる側の人でした。」と紹介されている。
昭和十四年(1939年)といえば、私が生まれた年でもある。この年は、ナチスドイツがポーランドに侵入して第二次世界大戦が始まり、二年後には、日本も太平洋戦争に突入していった。こうした時代に私はこの世に生を受けたのである。私を産んだ若い親は、戦争突入前夜の不穏な時代をどう生きたのだろうかと考えると同時に、自分と同年齢のクリスチャンがその時代をどのような信仰を持って生きたのだろうかと思い及ぶのだった。70歳になった今、私は、その時代に生きた同い年の一人の平凡なキリスト者の日々の歩みを深く知りたいと思う。彼がその時代をどう考え、どう生きていたか、どういう信仰であったのかを。
この「宗教団体法」というのは、時の政府が宗教界を国策に奉仕させ、戦争協力に動員するための強力な法的基盤となったものだ。宗教団体の内部に介入し、すべてを国家権力の支配下に置くことを明示している。あの西村徳次郎氏はこの法律に基づいた担当官だったのである。
二年後、プロテスタント教会は28教派が合同して日本基督教団が成立する。その創立総会のプログラムは国民儀礼で始まったという。すなわち国歌斉唱、宮城遥拝、皇軍将兵にたいする黙祷。その宣言の一部。「今ヤ此ノ世界ノ変局ニ処シ国家ハ体制ヲ新ニシ大東亜新秩序ノ建設ニ邁進シツツアリ吾等基督教徒モ亦之ニ即応シ教会教派ノ別ヲ棄テ合同一致以テ国民精神指導ノ大業ニ参加シ進ンテ大政ヲ翼賛シ奉リ尽忠報国ノ誠ヲ致サントス。」さらに、教団の生活要綱第一はこうだ。「皇国ノ道ニ従ヒテ信仰ニ徹シ各其ノ分ヲ尽クシテ皇運ヲ翼賛シ奉ルへシ」。
教団が設立された翌年の1942年、教団統理富田満は自ら伊勢神宮に参拝して、「我が国に於ける新教団の発足を報告し、その今後における発展を祈願」したという。またこの富田満という人物は、教団統理になる以前、日本基督教会の大会議長であった時、朝鮮半島のクリスチャンに対し神社参拝の受容を迫ってもいる。
これをば「国体の本義に基づく一君万民の日本精神に立脚した日本的キリスト教」というらしいが、今から考えれば、無残としか言いようがないキリスト教になってしまったのである。戦時体制の中にキリスト教が飲み込まれて行ったと言われるのはこのことなのであろう。
昭和20年(1945年)8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、連合軍に対して無条件降伏した。日本は戦争に負けたのである。信教の自由が確保され、プロテスタント諸教派は宗教団体法の制約から解放された。
しかし、これで戦時中の教会の姿が消えてしまったのだろうか。なかったものとなるのだろうか。もしこのキリストの体である教会が、誤った姿をとり、間違った道を歩んだものであるなら、すなわち神さまの前に罪を犯したのであるなら、時の教会指導者は、神さまと、教会員と、すべての国民の前に罪を告白し悔い改めなければならないと思う。
しかし、指導者の責任を問わなければならないにしても、その下で信仰生活、教会生活をしていた一般の信徒には何も責任がないのだろうか。
「『甘え』の構造」という本を書かれた土居健郎(どい たけお)という精神科医がおられたが、この7月5日に老衰で亡くなられた。先日(10月24日)の朝日新聞夕刊「惜別」欄にこの人のことを書いた文章が載っている。土居さんは、「プロテスタントの信仰あつい家庭に育ったが、幼いころから通った教会が皇国思想と戦争に抵抗しないことに疑問を感じ、教会から離れた。一人の神父を信頼する経験を機に、カトリックに改宗する。」私はこの文章を読んで、戦時中の信仰あついプロテスタントの家庭とその通っていた教会の本当の姿を垣間見た気がした。
西村徳次郎氏の『昭和キリスト教受難回想記』に戻るが、私はこれを吉岡長老から頂いて読んだ。そこには、プロテスタント、カトリックに限らずキリスト教に対する迫害弾圧がどんなに過酷なものであったか、氏の目を通して書かれており、読んでいて身がすくむような思いだった。時の教会指導者は、こうした迫害弾圧から信徒の身や家族を守ろうとして国に妥協していったのであろうと思うが、一般信徒とて同じであったであろう。日本の国全体が、天皇制全体主義、軍国主義に染まり、国民生活は逼迫を極めていた。そのような世の趨勢の中でどうやって信仰を守ってゆくのかということは、今の我々の想像を超える厳しい戦いであったに違いない。さもなければ、いわゆる「日本的キリスト教」を受け入れ、何の矛盾も感じない信仰生活を送っていたのかもしれない。しかしそのような状況でも、信じている教えを曲げることがなかったがゆえに、憲兵、特高による強制検挙、投獄、そして残酷な拷問を受け殉教を遂げた人々がいたのだ。官憲の監視の目をくぐって、「隣組」の常会を装って、家庭で集会を続けていた人々がいたのだ。
この『回想記』の著者である西村徳次郎氏はのちにカトリック信者になられる。吉岡長老によれば「西村氏は、この世の欲望をすてて神の僕となり、いくたの清く、純朴な聖職者の姿を見、そして殉教してゆく崇高な聖職者の悲劇的な姿を見ていました。その中で、官僚としての職責を全うしようとする自分と、キリストへと導かれた魂との相克の中で、その職務をすててキリスト教徒になることを決心するのです。」
こうした戦時中のキリスト教会の歴史を通して知るのは、信仰には質の違いがあるのではないかということだ。反面教師として覚えられる信仰か、心ある人をキリストへ導く信仰か。私たちの教会はどちらの質を受け継いでいるのだろうか。私の信仰の質はどちらなのだろうか。
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