今月のコラム(2008年)


メサイア    (S)  2008年 12月

印西市にある東京キリスト教学園で恒例のメサイア・コンサートが行われた。
今年はオーケストラ以外は学生と卒業生でそろえた。
 いつものオペラ歌手の先生が出なかったので迫力に欠ける面はあったが合唱はとてもよかった。
ここのメサイアの特徴は日本語で歌うことで、メロディに乗って聖書の言葉が素直に心に入ってくる。
アルトの叙唱19番はイザヤ書35章。前の18番のソプラノが「世の人喜べ・・迎えよ汝が神よ・・」と歌い、続いてアルトが「その時めしいの眼はあき、耳しいの耳はひらき・・」と、障害者がやがて癒される希望の預言をうたう。このところの歌詞は今日的に言えば不快語のオンパレードだが、これを歌詞どおりではなく、新改訳聖書第3版にしたがって、「眼の見えないものの眼はあき・・・」と歌っていた。特に字あまりと言った感じはなく、すらっと歌った。
小さいことだが、指揮・監督の先生の心の優しさを感じた。子供連れもOKのクリスマスらしいコンサートだった。


神さまがしてくださったよいこと  (U) 2008年 11月

 マタイの福音書26章に、最高級の香油を、惜しげもなく、イエスさまの頭に注ぎかけ、イエスさまに最高のもてなしをした女の人が出てくる。これを見た弟子たちは、憤慨したと書いてある。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。」「高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」と。

一言で言えば、もったいない、そこまでしなくても・・・という気持ちだろう。これを聞いて、イエス様は、この弟子たちに、おっしゃった。

「この人はよいことをしてくれたのだ」

 私は、この箇所を読むたびに、イエス様が私にしてくださった、 「よいこと」を思い出す。
大学1年生の時、家の近くの教会で、夏休み英会話クラスに参加し、これをきっかけに、教会へ通い始めた。次年度、長期プログラムとして、1年間の英会話クラスのために、アメリカから若い宣教師が1人派遣されることになった。近畿教区の数ある教会の中で、私の行っていた教会が選ばれたのだが、私はそれが不思議だった。大きな教会、たくさんの若者が集まる教会がある中、私が通っていた教会は、礼拝出席人数が5.6人。英会話クラス出席者は、3.4人の小さな小さな教会。効率を考えると、一番ふさわしくない教会だった。

 ずっとあとに、その宣教師から聞いたことばを、私は一生忘れない。 「私がこの教会にきたのは、あなたがいたからです。」

 神さまは、小さな1人に焦点をあて、たくさんのものを、惜しむことなく、与えくださった。この宣教師との出会いにより、私はクリスチャンになった。多く与えてもらった私は、今度は、この聖書の女の人と同じように、与える者になれますようにと、祈りつつ歩んでいる。


  16の時  (R)  2008年10月

 16才の時、車の運転ができた。お金を稼ぐこともできた。難しい数学の問題を解くことができた。リーダーシップをとることができた。スポーツで勝つこともできた。
 16才の時、たくさんのことができた。でも、いま考えればなんのことない物事の選択をすることができなかった。自分の思うように行くべきか?神の導きを求めるべきか?友達のするように自分を合わせるか?あるいは、キリストに似ることができるよう神に願うべきか?自分の人生をキリストに献げるべきか?そうすべきか?そうできるのか?
 16才の時、やっとわかった。難しかった選択が難しくなくなった。どうしてそうなったのか、わからない。キリストを受け入れ、キリストを愛すると決めたのは自分の決断だったのか?あるいは、僕を愛し、僕を受け入れることがキリストの決断だったのか。どちらにしても、16才の時、僕の人生はキリストのものとなった。

(原文)  When I was 16 
When I was 16, I could drive a car. I could make money. I could understand advanced math. I could lead my friends. I could win at sports.
When I was 16, I could do many things. But I couldn’t make the choices that seem so simple to me now. Should I go my own way? Or, should I ask God to lead me? Should I try to be like my friends? Or, should I ask God to make me be like Christ? Should I give my life to Him? Should I? Could I?
When I was 16, I finally understood. The difficult choices became easy. I don’t know why. Was it my decision to accept and love Christ? Or, was it Christ’s decision to love and accept me? Either way, when I was 16, my life became His.


小銭集めプロジェクト  (A)  2008年9月

 我家では秋のプロジェクトとして、「小銭集め」をすることとなった。これから8週間のあいだ、家の中に散らばったり転がったりしている小銭を見つけたら、飲みたいジュースやお菓子を我慢したらそのぶんだけ、 あるいはお小遣いをもらったらその一部を、お手製献金箱に入れるという、至ってシンプルなプロジェクトである。

 夏の終わりに「インドの識字率」のことについて知る機会が与えられた。人口10億人以上のインド、そのうちの7割もの人たちが日常生活に必要な読み書きができないというのである。
カースト制の影響や男尊女卑の思想が根強く残るこの国では、男子には教育の機会があっても、女子はなかなか教育が受けられないという現状もあり、病気の子どもを病院に連れて行くにも、バスの行き先や時刻表が読めない母親が途方に暮れていたり、 町のマーケットでは計算ができないため、少ないおつりをもらっても文句の言えない女性が悪徳商売の犠牲になっていたり、このようなことは日常茶飯事だそうだ。

 我家の目標は11月末までに小銭一万円を集めること。大人の女性が小学校卒業程度の読み書きができるようになるまで約1年、1人あたり3000円程度のサポートで、それが可能だという。 我家には女の子が3人いるので、3人のインド人女性が読み書きができるように献金しよう、という目標になった。
 Mission Indiaという団体を通して行われているこのリテラシープログラム、聖書をベースにした教材を用い、先生方もクリスチャンであることから、修了者の3割近くの人たちがキリストを信じ従う信仰が与えられているという。
 読めなかった人たちが読めるようになる、また真理の御言葉との出会いによってキリストにある本当の自由が与えられる。「小銭集めプロジェクト」を通して神さまが我家に教え、示されようとされていることに期待している。


『戦争が終わったよ』 (S) 2008年 8月

 今から63年前まで日本は戦争をしていた。
 私の家族は東京の向島区(今の墨田区)に住んでいた。
 1944年、空襲が始まったので父の実家、愛知県の農村に母と妹と3人で疎開した。
 田舎でも数キロ先の飛行場が爆撃されて黒煙が上がるのを目にしたり、夜中に爆撃機の音で防空壕に飛び込んだり、戦闘機の機銃掃射で村人が殺されたりしたがまずまず平穏な暮らしがあった。
 父は工場勤めで東京に残ったが、3月10日の下町大空襲では下町全体が火の海になった中を布団をかぶって逃げ惑った。 炎がなくても空気が熱いので布や髪の毛が突然燃え上がるという中、ほかの人から布団が燃えていることを教えられて、たたき消して、またかぶって逃げたという。父は生き延びたが十数万人が焼け死んだ。
 4歳の私は、母が、やったこともない農業を祖父や村人に教わりながら田畑を這いずり回るようにして、何とか食料を確保してくれたので、あまり空腹だった記憶もない。それでも配給になる食べ物は変なものばかりだった。 高粱、粟、はまずかった。豆かす(大豆から油を絞ったかす)はそれほどまずくはなかった。ズルチン(合成甘味料、有害)、とうもろこしの粉、etc、(終戦後の配給もあるかもしれない)
 夏のある日、日の当たる障子の桟に、はたきをかけながら母がポツンと「戦争が終わったよ」といった言葉が耳に残っている。
 4歳の私にはその意味が良くわかっていなかった。 しかし母にとってはどれだけの思いのこもった「戦争が終わった」であったのか。夫と引き離され、知らない田舎での農作業と子育て。夫はすんでのことに殺されかけている。一切不平不満を言うことの許されない、辛い時代が終わった安堵だったろうか。
 私の小さな戦争体験である。


【恵み】       2008年7月(H)

       詩篇38編 抜粋

7  わたしは身を屈め、深くうなだれ
  一日中、嘆きつつ歩きます。

9  もう立てないほど打ち砕かれ
  心は呻き、うなり声をあげるだけです。

10  わたしの主よ、わたしの願いはすべて御前にあり
   嘆きもあなたには隠されていません。

11  心は動転し、力はわたしを見捨て
   目の光もまた、去りました。

16  主よ、わたしはなお、あなたを待ち望みます。
   わたしの主よ、わたしの神よ
   御自身でわたしに答えてください。

22  主よ、わたしを見捨てないでください。
   わたしの神よ、遠く離れないでください。

23  わたしの救い、わたしの主よ
   すぐにわたしを助けてください。      (新共同訳聖書)
                   

    御前に嘆くことが許されている幸い

    呻きを受けとめていただけるという安堵




 ズボラ料理と神様を伝えること (U) 2008年6月

 私が愛用する料理の本の著者、奥園嘉子さんの肩書きは「ナマクラ流ズボラ派家庭料理研究家」。 彼女は、「3分料理選手権」というスピード料理のTV番組に出演することになり、見事優勝。
 しかし、その勝利とは裏腹に、スピード料理作りの練習の間に、どんどん料理が嫌いになってしまったとのこと。 ひたすらスピード最優先のために、火を早く通す目的で、油を大量に使ったり、準備や片付けの大変な機械を使いまくり、疲れてしまったと。 少しの無駄なく段取りよく料理を作れたとしても、この嫌気、この疲れは何だろう?早さってなんだろう?と考え込み、以下のような結論に。
 選手権ではない家庭料理は、楽しみながら作れたなら、多少の時間差は問題ないし、 鍋に入れて煮込むだけで出来上がる料理は、1時間かかったとしても、それは立派なスピード料理。 3分間で仕上げるために、どんどん無駄な部分を削っていったが、そぎ落した最たるものは、料理を楽しむ心ではなかったかと。
 彼女のズボラ料理は、本当に効率よく、無駄がなくしかも美味しいので、大好きだが、「楽しむ」という、大切なエッセンスが入っていたことに、深く気づいた。
 日常の家庭の中で、家族や友人や訪れる人々を思いつつ、よく考えて、上手に力を抜きながら、楽しんで料理をする。 これは神様を伝える場合にもあてはまると思った。スピード(効率)のみにとらわれず、自分らしい心地よい力の抜き方を大切に(自然体で)、楽しんで、喜んで(必須エッセンス)、神さまを人々に伝えたい。


  目には見えない世界    2008年 5月  (光)

 先日、車を運転していたら、工事渋滞につかまった。
 少しずつ進んでいくと、工事箇所で一人の警備員のおじさんが、赤く光る指示棒を振りながら、片側ずつ交互に車を誘導していた。
 「運が悪いな。こんな所で渋滞につかまるなんて!」 そう思いながら、その警備員さんの横を通り過ぎようとしたとき、その警備員のおじさんは、なんと私の車に 向かって深々とおじぎをしたのである。実は私は、その光景に少なからず驚いたのである。それは、これまで 私が抱いていた交通整理のおじさんのイメージとは、あまりにもかけ離れていたからである。確かにその おじさんは、1台1台に丁寧におじぎをしていた。
 それはあたかも「すみませんでした。お待たせしました。」と言っているかのようであった。
 「工事による渋滞は、あなたのせいではないのに・・・」 私はその時とても温かい気持ちになった。このおじさんは、目に見えない大切な世界を持っている。
 お金にならないことはやらないというような損得勘定ではなく、もっと大切な心の世界。人間のあり方に関わるような尊い世界。人から何かをもらおうとする世界ではなく、人に何かを与えようとする世界。そんな何かを この人は持っている。
 そのような事を感じながら、私は、クリスチャンについても同じ事が言えるのではないかと思った。
 クリスチャンは、真の神様を知っている。だから目先の損得勘定で動く必要はない。一見損に思えることでも神様の 前に意味のあることであれば、喜んでそれができる。
 人のために与える生き方ができる。
 聖書は、そんな生き方を私たちに与えてくれている。


 子どものように 2008/4/25 (A)

 この春で74才になる母が、先日教会で洗礼を受けた。洗礼を受ける母の姿を見ながらイエス様のみことばが心に浮かんできた。

 「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」(ルカの福音書18章17節)

 20年前、私が洗礼を受けた当時は、キリスト教や娘の信仰に対して懐疑的であった母が、この日、なんと素直な信仰で、教会に集う多くの方々の前で、イエス様を信じ従っていく決心を告白し、洗礼を受けていたことか。
 娘の私が言うのは少し変かもしれないが、水から上がった母の顔は子どものようにあどけなく、かわいらしく見えた。イエス様がおっしゃられた「子どものように神の国を受け入れる者」というのは、この日の母のような者、またその人の信仰のことを言うのだろうなと思った。
 74才にして、イエス様と共に歩む人生のスタートをきった母、その母の「子どものように」純粋な、また神さまに信頼しきった姿に励まされ、私もそのような者でありたいと願う思いが与えられた。

「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」(詩篇136編1節)



ことばの力 (T) 2008/03/20

 町を通る太い車道沿いの歩道を、いつものようにウォーキングしていた。そこは、民家の生垣が張り出していて、歩道としてはやや狭くなっていた。 後ろから、自転車が来る気配がした。私は心の中で舌打ちして言った、「何で歩道を自転車が走るんだ」。気づかぬ振りをして、このまま歩き続けてやろうかと思ったが、さすが大人げない気がしたので、車道の方に少し身を寄せた。
 すると、それを待っていたかのように、すっと私のわきを一台の自転車が通り抜けていった。乗っていたのは中学生ぐらいの男の子で、追い抜きざまに「ありがとうございます」と歌うように言った。
 私はそれを聞いたとたん、それまでの不愉快な気持ちや意地悪な心が一瞬にして消えてしまい、「今時、若いのに礼儀正しいじゃないか」と、愉快な気持ちすら湧いてきた。
 少年は、自分の言った一言が、他人の心を変えてしまったことなど知るはずもなく行ってしまった。私もほかの人の心を明るくするようなことばを、知らずに言うことがあるだろうかと思った。


老聖徒達 (S) 2008/3/1

 戦後の1950年代、アメリカを中心に多くの宣教師がやってきて、キリスト教が広まり始めた頃、クリスチャンになって献身し、牧師・宣教師になった若者達がいた。 その多くはいま、70歳代で牧師、宣教師を引退しつつある。
 貧しい中にあって、障害者や社会的弱者の面倒を見てこられた牧師、中東で難民キャンプを中心に医療や、識字教育をしてこられた宣教師、ジャングルの中で現地語を文字化しながら聖書を翻訳してこられた女性宣教師などなど、枚挙に暇がない。
 彼らは世に殆ど知られないし、日本の教会は面倒を見る力に乏しく、個人的努力や支援によるしかないので経済的にも恵まれないが、その足跡は尊いものである。天に於いて神様の酬いは大きいに違いない。  その老後が穏やかなものであって欲しい。  

 −−神のみ言葉をあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさい。−− ヘブル人への手紙 13:7


リコーダーと子育て  (H)  2008/1/8

 5年ほど前、初めて木製のリコーダーを購入した時、指導者からの「最初から吹き過ぎないように。初めの一週間は一日5分、次の一週間は10分。」という注意を 守り、慎重に笛を「育てて」いきました。しかし数ヶ月経つと、もういいだろうと つい長く吹き過ぎて音が悪くなってしまい、何日も笛を休ませなければなりません でした。生木でできているリコーダーは、無理が利かないのです。
 また、大量生産のプラスチック製のものと違い、一本一本手作りされる木製 リコーダーは、それぞれに個性(癖)があって音色も異なります。音程についても、 鍵盤楽器のようにいつも一定の音が自動的に出る訳ではなく、吹き方によって高くも低くもなるし、また笛によって「下のシとドと真ん中のソが高い」とかいう癖があります。習っているうちに、「開放(指で一つか二つの穴しか塞がない)の音は高くなりがちなので、思い切り吹かないように」とか、「低音は『トゥ』ではなく、そっと 『ドォ』と発音する」などの原則的な事は覚えていきます。しかし往々にして、 自分の笛の癖がやたらと気になり、「こんなに音程がひどいとは、もしかしたら 不良品?」と疑い始め、しかし買い換えられる訳ではないと、憂鬱な日々を長く 過ごしました。 
 ある日、ベテランのリコーダー仲間に悩みを漏らすと、そんなの当たり前と ばかりに、「私のだってそうだよ。だから指使いをこう変えてるの。」とさらりと 言われました。また、指導者に、「音が汚い」と陳情すると、「貸してごらん。」と言ってしばらく吹いて下さっているうちに澄んだ美しい音色が蘇り、「笛は吹く人によって音が変わりますから。」とズバリと一言。「笛が悪い」と決め付けていた思い込みが次第に覆され、欠点だと思っていた事の多くは指使いや吹き方の工夫で解決することがわかってきました。
また先日は、ある方に私のリコーダーの音色が短調の曲に向いていると指摘され、そのような特性を生かしていきたいと思うようになりました。
   子育てにおいても、育児書どおりに行かない、何で他の子の様にできないんだろう、とマイナスばかりが目に付きがちです。しかし、子供たちは(そして私たち大人も) 大量生産のロボットではなく、一人一人手作りされた神様の作品である事を覚えたいと思います。私たちに今は見えていないかもしれない、一人一人に神様が与えて 下さっている価値を、少しずつでも見出し、伸ばしていくことができますようにと 祈らされます。


'07年のコラム
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